(今回は、この場でよみがえらせてもらえると思っていないマリヤ、についてふれたいと思います)
『これを聞いたマリヤは(=イエスがお呼びになっているときいたマリヤは)すぐ立ち上がって、イエスのもとに行った。イエスはまだ村に(=ベタニヤに)、はいってこられず(=はいっておらず)、マルタがお迎えしたその場所におられた。マリヤと一緒に家にいて彼女を慰(なぐさ)めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に(=ラザロの墓に)泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう(=なぜ生きているうちに、病をいやしにきてくれなかったのか、との思いがこめられています。マリヤも姉のマルタ同様に、この場でラザロを生きかえらせてもらえるという信仰がもてていませんでした)」』
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(姉のマルタは、すでにイエスから “わたしはよみがえりであり、命である” という啓示をさずかっていました。これを彼女がマリヤにつたえていたかどうかはしるされていませんが、マリヤもまたこの場でよみがえらせてもらえるという希望をもてていませんでした。ですがイエスはお墓のところにつき次第、ラザロをよみがえらせてくださるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストがなさる神のみわざをうけいれますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)