あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる(ヨハネ11:25~28)

(今回は、キリストはよみがえりであり、命である、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・11章の25~28節より

『イエスは彼女に(=この場でラザロを生きかえらせることに考えがおよんでいないマルタに)言われた、「わたしはよみがえりであり(=ご自身も死から復活なさいますし、また信仰者によみがえり(復活)をもたらすことができる者であり)、命である(=ご自身が永遠の存在であるのはもちろんのこと、信仰者に永遠の命をあたえることができる者である)。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる(=たとえ肉体的に死んでも復活します。そしてラザロにいたっては、神のみこころどおりにこの場でよみがえります)。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない(=また肉体が生きている状態のうちから、霊において永遠に死なない命があたえられています)。あなたはこれを信じるか(=人をよみがえらせることができ、永遠の命をあたえることもできるキリストが、まさにいまあなたの目の前にいるのを信じることができるか)」。マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております(=マルタの応答は論点がずれてしまっています。よみがえりであり、命であるキリストが、この場でラザロをよみがえらせることを啓示しているのに、マルタの目はひらかれておらず、あなたが神の御子キリストであるのを信じています、と返しています。彼女の中では、ラザロのよみがえりは終末のことと理解されたままなのです(ヨハネ11:39))」。マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った』

 

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(上記のキリストは、ラザロをこの場で生きかえらせるとは口にせずに、マルタの信仰をひきだそうと、ご自身のご性質にふれて話をされました。ですが彼女のほうでは、たしかに信仰はあるのですが、どうしても古い自分の考えにとらわれていて、成長の一歩をふみだせずにいます。どうか一人でも多くの方が、キリストからの啓示を、やわらかいこころでうけとりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

 

※なお今回の記事は、わたしにとってむずかしいものでした。うのみになさらず、お一人お一人が神とのまじわりをふかめていただければと思います。