あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である(ヨハネ19:35~37)

(今回は、神であるキリストが、同時に人間となられて地上にきたのを強調するヨハネ、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・19章の35~37節より

『それを見た者が(=キリストの足が折られずに、またやりで刺されて血と水がながれでたのを(=すなわちキリストが人間としての肉体をもっておられたのを)見た、弟子のヨハネが)あかしをした(=こうしてヨハネ福音書に書きのこした)。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを(=目撃したままに語っていることを、なにより自分自身が)知っている。それは(=こうして真実を語っているのをくりかえし強調するのは)、あなたがたも信ずるようになるためである。これらのことが(=足が折られずに、またやりで刺されたことが)起ったのは、「その骨はくだかれないであろう」との聖書の言葉(詩篇34:20)が、成就するためである(=またキリストは、過越(すぎこし)のためにほふられた小羊(こひつじ)の役目を負っています。その小羊の血を家の入り口の二本の柱と鴨居(かもい=入り口の上の横木)にぬることで、神のさばきがとおりすぎて(すぎこして)いったのですが、まさに十字架の血がこの役目を果たしているのです。なおその小羊の骨は折ってはなりませんでした(出エジプト12:46))。また聖書のほかのところに、「彼らは(=ユダヤ人たちは)自分が刺し通した者を見るであろう」とある(=やりを刺したのはローマ兵ですが、実質、キリストを訴えてこう仕向けたのはユダヤ人だということです(ゼカリヤ12:10、黙示録1:7)』

 

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ヨハネがこの福音を書いた当時には、すでに異端(=真理からはずれた教え)が誕生していて、キリストは人間としての肉体をもっていなかったなどの教え(=グノーシス主義など)がひろがっていました。こうした背景をうけて、ヨハネはやりの刺し傷から「血と水がながれでた」のを書きしるすことで、神であるキリストが人間でもあり、たしかに十字架で死なれたのを証ししました。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)