あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た(ヨハネ19:31~34)

(今回は、神であるキリストは、同時に人間となられてこの地上にきた、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・19章の31~34節より

『さてユダヤ人たちは、その日が準備の日(=かつて神がイスラエルの民を、エジプトから脱出させたのを祝う過越(すぎこし)の前日、金曜日)であったので、安息日に(=次の日の、労働をしてはならない土曜日に)死体を十字架の上に残しておくまいと(=ユダヤ人には、死体を木にとどめていてはならないとの教えがあり、その日のうちに埋めなければなりません(申命記21:22~23))、(特にその安息日は大事な日(=年に一度の過越を祝う日)であったから)、ピラトに(=ローマ総督に)願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。そこで兵卒(=ローマ兵)らがきて、イエスと一緒に十字架につけられた初めの者(=他の囚人)と、もうひとりの者(=もうひとりの囚人)との足を折った(=十字架上で足を折ると、体重がささえられずに窒息死します)。しかし、彼らがイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た(=これは医学的に、心臓の機能が低下した際に、胸のあたりに水が溜まるということがあるようです。具体的には胸水、肺水腫(はいすいしゅ)など。また死者の血液は循環していないので、すでに透明な血清(けっせい)が分離していたのかもしれません。いずれにせよここから言えるのは、キリストはたしかに人間であったということです。キリストは神であると同時に人間となられて、この地上にこられたのです)』

 

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(ローマ兵がやりを刺すと、その体から血と水がながれでました。キリストは子なる神として、罪をあがなう使命をお持ちでしたが、ここでの血と水が、同時に人間としてこの地上にこられたことを証ししています。どうか一人でも多くの方が、聖書のことばをうけとめますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)