あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである(ヨハネ15:16~17)

(今回は、信仰のない者たちに神をしめすのは、たがいに愛しあうことにつながっている、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・15章の16~17節より(以下はキリストのおことばです)

『あなたがたがわたしを選んだのではない(=えらんで弟子になったのではない)。わたしがあなたがたを選んだのである(=えらんで弟子したのである)。そして、あなたがたを立てた(=神への奉仕者として任命した)。それは、あなたがたが行って実をむすび(=キリストにあって神のご性質や栄光を、世にしめす実としてみのらせ、それによって新たな信者(枝となる者)をふやし)、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは(=神に祈りもとめるものは)なんでも、父が与えて下さるためである(=これらの信者が祈りもとめるものは、神の聖なるご性質や栄光があらわされることと一致しており、それが実となって実現されます)。これらのことを命じるのは(=キリストを知らない者たちのところに行って、神のご性質や栄光を実をもってしめし、また、そうした実のために祈りもとめるように命じるのは)、あなたがたが互に愛し合うためである(=神をしめす実をもってなされる伝道とは、神のお働きがあってこその信者の共同作業になります。そして新たに信仰にいたった者は、永遠の命の存在をしめしてくれた仲間を愛するでしょうし、またそれをしめした信者たちも、その人を愛し、神の愛の関係のなかに招きいれようとキリストの救いをつたえたのです。このように信者がむすぶ実は、たがいが愛しあうこととつながっているのです)』

 

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(信者たちは枝として孤立しているのではなく、ぶどうの木であるキリストにつながって、実も全体で共有している存在です。そして世にしめす実をとおして新たに加えられる枝(信者)をふやし、その喜びを全体で感じて、たがいに愛しあっている存在でもあるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを中心とする愛の関係のなかに入れられますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)