あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである(ヨハネ15:5~7)

(今回は、人はキリストとつながっていなければ、世に神をあらわせない、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・15章の5~7節より(以下はキリストのおことばです)

『わたしはぶどうの木(=ご自身をぶどうの木にたとえておられます)、あなたがたはその枝である(=その際の、ぶどうの枝にたとえられるのが信者になります)。もし人がわたしにつながっており(=信仰によってつながっており)、またわたしがその人とつながっておれば(=その信仰をみとめてつながっていれば)、その人は実を豊かに結ぶようになる(=キリストがその人をとおしてはたらかれ、神のご性質や栄光を、世にしめす実として豊かにみのらせてくださいます(ヨハネ15:8))。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである(=神への奉仕も何一つできません)。人がわたしにつながっていないならば(=信仰がないなら)、枝のように外に投げすてられて枯(か)れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである(=これは不信者の行く末が神のさばきであるのをあらわしています)。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉が(=キリストのことばには、神の霊的な力といのちをもたらす力がそなわっており(ヨハネ6:63)、これらのことばが)あなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう(=これらの信者の望みは、神の聖なるご性質があらわされることと一致しています。こうした望みの実現によって、神が栄光をうけることになるのです(ヨハネ14:13)。ですから神のご性質と一致していない肉の欲などはかなえられません)』

 

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(ぶどうの木の根や幹(みき)であるキリストから、養分をいただいているのが枝であるわたしたちです。ですからこの幹から離れていては、枝は実をみのらせようがなく、神への奉仕もできず、世に神をしめしていくこともできないのです。どうか一人でも多くの方が、信仰によってキリストと一つにされますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)