あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない(ヨハネ15:1~4)

(今回は、信仰者がキリストにあってみのらせる実で、世に神をあらわす、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・15章の1~4節より(以下はキリストのおことばです)

『わたしはまことのぶどうの木(=ご自身をぶどうの木にたとえておられます)、わたしの父は農夫である(=その際に、ぶどうの木をやしなう農夫にたとえられるのが神になります)。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは(=にせの信者は)、父がすべてこれをとりのぞき(=この木に加わっていることができません。この者たちの行く末は神のさばきです)、実を結ぶものは(=信仰のゆえにキリストとつながり、そのキリストにあって神のご性質や栄光を、世にしめす実としてみのらせる者は(ヨハネ15:8))、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである(=キリストとのつながりを強め、より霊をきよめてくださいます)。あなたがたは(=弟子たちは)、わたしが語った言葉によって既(すで)にきよくされている(=キリストのことばを信じたことで、すでに霊をきよめられている)。わたしにつながっていなさい(=これからも信仰にとどまりつづけなさい)。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない』

 

――――――――――――――――――――

(信仰者の内にはキリストが住んでくださるので、キリストがその人をとおしてはたらかれ、神のご性質や栄光を、世にしめす実としてみのらせてくださいます。ですからこれらの実は、人の個人的な力でどうなるものでもありません。どうか一人でも多くの方が、世に救い主キリストをしめしていけますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)