あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる(ヨハネ12:12~16)

(今回は、力ではなく献身によって世を救われるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・12章の12~16節より

『その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスエルサレムにこられると聞いて、しゅろ(=ヤシ科の樹木)の枝を手にとり(=これはメシアの到来に対する喜びをあらわしています(詩篇118:27))、迎えに出て行った。そして(=そして詩篇118:25~26にあることばをもちだして)叫んだ、「ホサナ(=メシアをまちわびていた群衆が、救いたまえ(=ホサナ)と叫び、熱狂して神をたたえています)、主の御名によってきたる者に(=神の権威によってこられるキリストに)祝福あれ、イスラエルの王に(=彼らは、ローマをたおし、イスラエルを治めるキリストに、という意味でもちいています)」。イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた(=群衆の期待がふくらむ一方で、キリストは王にふさわしくない “ろば” にのって、エルサレムにはいられました)。それは「シオンの娘よ(=地名としては、エルサレムの南東を指しますが、ここでは “神の民としてのイスラエルよ” という意味)、恐れるな(=これは神からの啓示です。このあとにキリストは、とても王とはいえない十字架での無残な死をとげますが、あなたたちには勝利がもたらされるからおそれるな、というメッセージがこめられています(ゼパニヤ書3:16~17))。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる」と書いてあるとおりであった(=一見ろばにのるすがたは、弱々しくみえるかもしれないが、これは神が預言されたとおりのことなのだ(ゼカリヤ9:9))。弟子たちは初めにはこのことを悟らなかったが(=王であるキリストが、力の象徴とはほど遠いろばにのり、またおそれるなという啓示があたえられていることの意味をさとらなかったが)、イエスが栄光を受けられた時に(=十字架の死後に復活なさったときに)、このことがイエスについて(=力ではなくご自身の犠牲によって世を救われたキリストについて)書かれてあり、またそのとおりに、人々がイエスに対してしたのだということを(=十字架によって、よりによって自分たちのメシアを殺してしまったことを)、思い起した』

 

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(群衆は、キリストが力によってローマをたおし、国を治めてくれるものと思っています。弟子たちも同じように思っていましたが、彼らはキリストの復活後に聖霊があたえられることでさとることになります。この十字架におけるキリストの献身こそが世を救う方法であり、ここにこそ神からの人間に対する愛と恵みがしめされていたのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)