(今回は、ユダヤ人指導者たちは、実際のところモーセも信じていない、ということについてふれたいと思います)
『わたしがあなたがたのことを(=わたしをキリストだと信じないあなたがたを)父に(=神に)訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である(モーセ=出エジプトの際に、神によってイスラエルの民のリーダーとされた人物。神はこのモーセに、神の民としての指針(=律法)をおあたえになりました。ですがこの当時のユダヤ人も、律法を歪曲(わいきょく)した口伝律法にしたがっており、彼らは律法をおかしてしまっていました。ですからこのモーセの律法にもとづいてうったえられることになります)。もし、あなたがたがモーセを信じたならば(=こころから信じているなら)、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである(=モーセは、神の霊からでた律法を書きのこし、すべてのイスラエルの民に罪への自覚をもたらしました。律法は、罪の存在のゆえに、すべての人の目を神のめぐみとあわれみにむけさせ、ひいてはキリストにみちびくために書かれていたのです(ローマ7:14、ガラテヤ3:24))。しかし、モーセ(=たのみとしているモーセ)の書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を(=殺意さえいだいているキリストのことばを)信じるだろうか』
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(キリストを拒否することは、彼らがたよりにしているモーセも拒否していることになります。ひいては聖書を、また神をも拒否しているのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて救われますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)