(今回は、神の栄光だけをもとめておられるキリスト、についてふれたいと思います)
・ヨハネによる福音書・7章の18~19節より(以下はキリストのおことばです)
『自分から出たことを(=自分の考えを)語る者は、自分の栄光を(=自分がいかに大きな人間か、また賞賛されること、名誉などを)求めるが、自分をつかわされたかたの栄光を求める者(=神からでたことばを語り、神の聖なるご性質があがめられるのを求める者。これはキリストご自身のすがたでもあります)は真実であって(=神の真理にそっているのであって)、その人の内には偽(いつわ)りがない(=不正がない)。モーセは(=出エジプトの際のリーダーは)あなたがたに律法(=神の民としてふさわしく生きるための指針)を与えたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法を行う者(=守る者)がひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか(=律法には、人殺しをしてはならないとあるのに、彼らはイエスを殺そうとしていました。とくにユダヤ人指導者にとってイエスは、自分たちの地位をおびやかす目ざわりな存在だったのです)』
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(律法を要約するなら、それは神を愛することと、隣人を自分自身のように愛することの2点になります。ですがユダヤ人の多くは、この律法を守らず、神のご栄光ではなく、自分の栄光をもとめてしまっていました。現に、神のおしえを語るイエスを殺そうとまでしていたのです。どうか一人でも多くの方が、悔いあらためのこころをもって、神のもとに立ちかえりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)