(今回は、神の権威をあたえられたキリストが、すべてのさばきをおこなう、ということについてふれたいと思います)
『そして子は(=神のひとり子、御子(みこ)は)人の子であるから(=神でありながら人でもあり、その人としての生涯もあゆまれた子であるから)、子にさばきを(=最後の審判でのさばきを)行う権威をお与えになった。このことを驚くには及ばない(=事実にほかならないのだから、おどろく必要はない)。墓の中にいる者たち(=すでに肉体的に死んで墓にいる者たち)がみな神の子の声(=天から再臨なさったのちのキリストの声)を聞き、善をおこなった人々は(=神への信仰があり、神につかえた人々は)、生命(=永遠のいのち)を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は(=神への信仰がなく、神を憎んだ人々は)、さばきを受けるために(=火の池によって滅(ほろ)ぼされることのために)よみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう』
――――――――――――――――――――
(人の死とは、魂(たましい)と肉体の分離を意味しているにすぎないので、死んだら魂も消えておしまいというわけではありません。のこされている魂をもとにして、人はだれもがよみがえらされて、生前におこなった罪のさばきをうけることになります。どうか一人でも多くの方が、キリストによる罪のあがないを信じて、罪をゆるされた者となりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)
なお上記にでてくる “人の子” は無冠詞でもちいられています。有冠詞であれば主イエスがメシアであることを、無冠詞であれば主イエスの人間性を表現しているとのことです(参考:エマオ出版訳)。ですので今回は上記のように言いあらわしてみました。