(今回は、キリストを証しする聖霊のはたらき、についてふれたいと思います)
・ヨハネによる福音書・16章の8~11節より(以下はキリストのおことばです)
『それがきたら(=聖霊がくだられたら)、罪と義(=神の目におけるただしさ)とさばきとについて、世の人の目を開くであろう(=聖霊が神の真理をあきらかにすることで、世にあやまりをみとめさせるだろう)。罪についてと言ったのは(=罪についてあきらかにされるのは)、彼らがわたしを信じないからである(=不信者がキリストを信じないこと自体が、神への反抗をあらわす罪だということ)。義についてと言ったのは(=義についてあきらかにされるのは)、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである(=キリストはこの地上でもいっさい罪をおかしておらず、神の目に義である者(ただしい者)として、その天のみもとに死からの復活を経てあげられたことである)。さばきについてと言ったのは(=さばきについてあきらかにされるのは)、この世の君(きみ=サタン)がさばかれるからである(=キリストの十字架による死は、世の救いを完成させた勝利にほかならず、このときにサタンのたくらみはついえ、そればかりか彼が火の池に投げこまれる判決が、すでにくだされていることである)』
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(世の人々は、キリストを信じなくても、それが罪にあたるとは思っていませんし、キリストが十字架にかけられたのは、キリストが罪をおかしたからと考えるでしょうし、またその十字架での死が、実は勝利を意味し、サタンのさばきを決定的なものにしているとは知りもしません。ですがこれらはキリストを証しする聖霊の降臨によって、世にしっかりとしめされているのです。どうか一人でも多くの方が、聖霊があきらかにしている神の真理にふれられますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)