あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである(ルカ6:24~26)

(今回は、神をもとめていない人たちのわざわい、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・6章の24~26節より

『しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ(=これは単に物質的に富んでいるということではありません。霊において実際は貧しいにもかかわらず、霊を豊かにしてくれる神には目を向けずに、世に属する富などをよりどころにして、自分が豊かだと思いこんでいる人たちのことです)。慰めを受けてしまっているからである(=本来神をもとめ、神からのなぐさめをうけるべきところを、世に属するものへの思い入れで心のすき間をうめてしまっています。なのでここで “わざわい” と言われる人たちは、キリストのところに一時的にあつまってますが、神を心からはもとめきれていない人たちです)。あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ(=これも単に物理的にお腹が満たされていることではありません。霊において実際は飢えているのに、神や神の義をもとめずに、自分のことや世に属したもので満ち足りた気になっている人たちのことです)。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ(=これは自分が罪人であることや、またサタンが支配している世にあって、悪がはびこっていること、そしてこうした状況を見て神が悲しまれていることなど、これらに目を向けずに笑っている人たちのことです)。悲しみ泣くようになるからである。人が皆あなたがたをほめるときは(=あなたの言動が、多くの人から賞賛されているときは)、あなたがたはわざわいだ(=なぜなら世はキリストを憎んでいるので、あなたがキリストに忠実で、それが言動にあらわれているなら、あなたも世から憎まれるからである(ヨハネ15:18))。彼ら(=神への信仰がなく、人を賞賛する者たち)の祖先も、にせ預言者(=神の使者だといつわっている者)たちに対して同じことを(=賞賛することを)したのである』

 

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(アダムが罪をおかして以降、人は霊に貧しく、飢えており、だれもが神の義の基準に満たない罪人です。しかし上記にはこれらに目を向けずに、心の穴埋めを世に属する富などでおこない、それを自分のよりどころにして、ある意味、神以上の存在として偶像にしてしまっている人たちの姿が記されています。どうか一人でも多くの方が、聖書の唯一の神に立ちかえり、神の国にまねかれますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)