あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである(ルカ11:20~26)

(今回は、霊における戦いを経て、囚われの人々をとりもどすキリスト、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・11章の20~26節より(以下はキリストのおことばです)

『しかし(=あなたがた(群衆)は、キリストに対してサタンの力で悪霊を追いだしていると言っているが)、わたしが神の指(=神の霊(マタイ12:28))によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである(=キリストをとおして実際に神の国が到来しているのだ)。強い人(=サタンのことと思われます)が十分に武装して(=悪霊を呼び寄せ、霊における反撃体制をとって)自分の邸宅を(=自分の領域を)守っている限り、その持ち物は安全である(=その領域内で捕らわれの身となっている人々を、だれかにうばわれることはない)。しかし、もっと強い者(=キリスト)が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って(=悪霊を払いのけて守りを無力化し)、その分捕品(ぶんどりひん=サタンの領域に捕らわれていた人々)を(=神の側に)分けるのである(=これがキリストが悪霊を追いだす際に、霊における領域でおこなわれていることです)。わたしの味方でない者は(=仮に敵意がなくても、キリストを救い主と信じずに、キリストの側につかない者は)、わたしに反対するものであり、わたしと共に(=信者を)集めない者は、散らすものである(=神に敵対して、じゃましてるのと同じである)。汚(けが)れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所(=荒野など)を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけ(=原文は、整えられて、という意味です)がしてあった(=悪霊にとってより好ましい状態になっていた。要は神への信仰ですき間が埋められていることもなく、霊において空っぽの好都合な状態になっていた)。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである(=悪霊の数がふえて、より強くサタンの悪影響下におかれています。ですから、仮にキリストによって悪霊を追いだしてもらっても、神のみわざをみとめずに神に立ちかえらないなら、状況はより悪くなってしまいます)」』

 

――――――――――――――――――――

(キリストが、サタンに捕らわれている人々をとりもどす際には、上記のような戦いがおこなわれています。悪霊の追いだしも、この一環として見ることができると思います。そしてたとえ悪霊がいなくなったあとでも、キリストをうけいれずに神に立ちかえらなければ、その人の状態はより悪くなってしまいます。神につくのか、サタンにつくのかで、このどちらにも属さずに、中立をとる立場は存在しないので、かならず神につく必要があるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

 

※なお今回の記事は、キリストのたとえに注釈をつける点でむずかしさがありました。うのみになさらず、お一人お一人が神とのまじわりをふかめていただければと思います。