あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである(ルカ6:20~23)

(今回は、神をもとめている人たちのさいわい、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・6章の20~23節より

『そのとき(=群衆があつまってきているとき)、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ(=ここでの “まずしい” とは、物理的な貧しさのことではありません。霊において貧しく、霊を豊かにしてくれるのは神だけであると知って、神をもとめている人たちのことです。なおアダムが罪をおかして以降、人はだれもが霊において貧しい状態にありますが、これを自覚している人は神をもとめ、これに無自覚な人は、世の富などによりどころをもとめ、神を必要としない過(あやま)ちにおちいります(ルカ6:24)。なのでここで “さいわい” と言われる人たちは、霊の貧しさのゆえに心から神をもとめ、キリストのもとにあつまっている人たちです)。神の国はあなたがたのものである。あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ(=ここでの “うえている” も、物理的な空腹のことではありません。霊において飢えていて、つねに神や神の義をもとめている人たちのことです)。飽き足りる(=十分にあたえられる)ようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ(=ここでの “泣いている” も、単に感情に左右されているものではありません。自分が罪人であるのを知り、自分で自分を救えないことや、またサタンが支配している世にあって、悪がはびこっていること、そしてこうした状況を見て神が悲しまれていること、これらに目を向けて泣いている人たちのことです)。笑うようになるからである。人々があなたがたを(=信仰のあるあなたがたを)憎むとき、また人の子(=キリスト)のためにあなたがたを排斥し(はいせき=追いだし)、ののしり、汚名を着せるときは(=悪者にしたてあげるとき)、あなたがたはさいわいだ。その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼ら(=迫害をしてきている者たち)の祖先も、預言者たちに(=神からの使者たちに)対して同じことをしたのである』

 

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(上記の “貧しい” や “飢えている” や “泣いている” は、単に物理的な貧困、また一時の感情に由来しているものではありません。なぜなら “さいわい” としてつづいてる内容が、すべて神の国に通じていることだからです。ですからここは、単に貧しければ神の国に入れるというのではなく、さいわいとされる人の、神をもとめているすがたを重ねあわせて、解釈する必要があると感じました。どうか一人でも多くの方が、キリストのことばに耳をかたむけますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)