あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう(ヨハネ13:6~8)

(今回は、愛をもって互いに仕えあうことの模範をしめされるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・13章の6~8節より

『こうして、シモン・ペテロ(=12人の弟子の一人)の番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの(=しもべであるわたしの)足をお洗いになるのですか」と言った。イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう(=足をあらうのは仕える者の仕事です。これをキリストは神でありながらも、別れのまえの最大限の愛をこめて弟子たちにしました。この時点では彼らのだれもが、キリストの死を感じとっておらず、愛をもって互いに仕えあうようにというメッセージを重くうけとめていません。しかもキリストは間もなく、世のすべての人に仕えるという意味での献身を、十字架をもって実践されます。このことの意味を後(のち)の聖霊によって知るときに、はじめて彼らは、キリストの行為(=洗足(せんそく))にこめられている愛、また仕えあうことのメッセージをよみとることになるのです)」。ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい(=奴隷がするような仕事をなさらないでください)」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる(=キリストがなさるこの行為には、足のよごれをとるだけでなく、ご自分と弟子たちに霊的なつながりがあるのをたしかめる意味合いもありました)」』

 

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(このときの弟子たちは、キリストがイスラエルの王として、ローマを力でたおしてくれるという期待をもっています。まさかこの食事のあとで、捕らえられることになるとは夢にも思っていません。こうした彼らがキリストの啓示を理解するのは、復活後のキリストから聖霊をあたえられてからのことになります(ヨハネ20:22)。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて聖霊をさずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)