あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしに従ってきなさい(ヨハネ1:43~47)

(今回は、キリストが人々を弟子にするシーン、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・1章の43~47節より

『その翌日、イエスガリラヤ(=キリストの故郷がある地方)に行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい(=キリストはピリポを弟子にえらばれました)」。ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダ(=ガリラヤ湖沿いの北東の町)の人であった。このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており(=モーセ旧約聖書の律法でしるしているのは、総じて神のことです)、預言者たちがしるしていた人(=預言者たちが旧約聖書でしるしているのは、おもにメシヤ(救い主)のことです。ですからこのふたつでしめしているのは、神でもありメシヤでもあるキリストのことです)、ヨセフ(=マリアの夫)の子、ナザレ(=ガリラヤ湖の西の町。キリストが育った故郷)のイエスにいま出会った」。ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか(=ナザレからメシヤがでるといった預言があっただろうか)」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人(=神の民であるイスラエルの民として、神とあゆんでいる人)である。その心には偽りがない(=神への信仰があって、誠実に神とむきあっている)」』

 

――――――――――――――――――――

(聖書には “弟子” ということばがでてきますが、キリストを信じたわたしたちも、キリストの弟子になっているのです。そして一人一人がそれぞれのはたらきをまかされています。どうか一人でも多くの方が、キリストの弟子となって、神からの祝福をうける者となりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)