あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

人の子は人々の手に渡されようとしている(ルカ9:43~45)

(今回は、ご自身の死について預言されるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・9章の43~45節より

『みんなの者が(=群衆が)イエスのしておられた数々の事を(=病のいやしや悪霊を追いだすことなど、人にはできない数々のできごとを)不思議に思っていると、弟子たちに言われた、「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子(=キリスト)は人々の手に渡されようとしている(=いずれは捕(と)らえられ、十字架で殺されることになる)」。しかし、彼らはなんのことかわからなかった(=キリストがご自身の死について預言しているのに、その意味がわからなかった)。それが彼らに(=神によって)隠されていて、悟ることができなかったのである(=宣教は、すべて神のご支配のもとでおこなわれており、キリストによる世の罪のあがないは、十字架での死をもって必ず実現しなければなりません。彼らが、十字架にこめられている意味を悟るのは、キリストの復活後に、聖霊をさずかってからになります(ヨハネ20:22))。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた(=いまの彼らは、このままのキリストがローマを倒して、イスラエルの王になってくれるとの期待に胸をふくらませています。この実現が彼らの願いであり、この期待をこわされるようなことは、たとえキリストの口からであっても聞きたいとは思っていませんでした。彼らは失望させられるのを恐れていたのです(参考箇所:マタイ17:22~23))』

 

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(キリストはいまの弟子たちには理解できないと知った上で、ご自身の死や復活について預言されました。それはこうしたことがことごとく成就することで、彼らがイエスこそがキリストなのだと確信するためです(ヨハネ14:29)。このゆるぎない確信が、キリストが昇天なさったあとの地上で、彼らの伝道を前進させもするのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)