あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか(ルカ5:33~35)

(今回は、キリストが花婿として地上にいて、花嫁としての信者が次々におこされていく喜ばしい時、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・5章の33~35節より

『また彼ら(=ユダヤ人指導者たち)はイエスに(=弟子のマタイがもよおした宴会(えんかい)で食事をしているイエスに)言った、「ヨハネの(=キリストの先駆者であるバプテスマのヨハネの)弟子たちは、しばしば断食をし(=食事を断つ肉体的な苦痛をとおして、悔いあらためや畏れ(おそれ=うやまい、たっとぶこと)をもって神に近づくことをし)、また祈(いのり)をしており、パリサイ人の(=ユダヤ人指導者の)弟子たちもそうしているのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」。するとイエスは言われた、「あなたがたは、花婿(はなむこ=これは救い主であるキリストご自身をこうたとえています)が一緒にいるのに(=神からあたえられた救い主(花婿)が地上にいて、この救いをうけとるユダヤ人信者(花嫁)が次々におこされていくのに)、婚礼の客に(=ここでいう弟子たちのことです。この祝いごとともいうべき恵みに満ちた時に、キリスト(花婿)につきそっている弟子たち(婚礼の客や友)に)断食をさせる(=苦痛をあじわわせる)ことができるであろうか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る(=キリストが人々の罪のために、身代わりとなって十字架で命を落とすときがくる)。その日には断食をするであろう(=そのときがきたら、またそれぞれが悔い改めをとおして断食することになる)」』

 

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(聖書ではキリストを花婿に、そして信者を花嫁にたとえています。上記ではまさに花婿が地上にあたえられて、多くの花嫁がおこされていくめでたい期間にあることが示唆されています。そしてキリストはというと、このお祝いにあたる期間につきそっている弟子たちにも、喜びをもって過ごしてほしいと願っておられます。なお聖書の律法でさだめている断食の日は、たとえば年に一度の贖罪の日(しょくざいのひ=罪のつぐないをする日で、ユダヤ暦でいう第七の月の十日)などです(レビ23:27)。ですからキリストや弟子たちが断食を習慣にしてないからといって、それが律法に反してるわけではありません。要はパリサイ人の主張に正当性はないということです。どうか一人でも多くの方が、キリストと結ばれる喜びをあじわいますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)