(今回は、昇天するキリストがのこされていく平安、についてふれたいと思います)
・ヨハネによる福音書・14章の25~27節より(以下はキリストのおことばです)
『これらのことは(=キリストが死から復活し昇天すること、また天に住まいを用意し、神が聖霊をさずけることなど、こうした諸々(もろもろ)のことは)、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主(=聖霊)、すなわち、父が(=神が)わたしの名によってつかわされる(=あなたがたにあたえられる)聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え(=十字架の死が意味することなどもすべてをおしえ)、またわたしが話しておいたことを(=キリストと過ごしていたときに聴いた話を)、ことごとく思い起させるであろう。わたしは平安を(=神の愛によって守られている人知を超えた平安を(ピリピ4:6~7))あなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える(=具体的には、霊において共に住んでくださる永遠の命のともなった平安、ということになるかと思います)。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは(=世が武力などの力によって治める平安とは)異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな(=キリストは万物を支配しておられますが、それは武力によってではありませんし、いまは神のご計画の道なかばにあります。この人類を救うご計画のなかで、まもなく十字架で殺されもするし、復活後には天に去っていくがおそれないように)』
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(キリストはこの場において、弟子たちを孤児とはせずに、聖霊をさずけ、一緒に住まわれることをお語りになりました。そしてこうして信仰者にあたえられる平安は、なにものにもうばいとられることはないのです(ヨハネ10:28~29)。どうか一人でも多くの方が、キリストにあっての平安をさずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)