(今回は、霊のかわきをみたし、永遠のいのちをもたらしてくださる聖霊、についてふれたいと思います)
『イエスは女に答えて言われた、「この水を(=女が指している井戸の水、物質的な水を)飲む者はだれでも、またかわくであろう(=またからだが(肉体が)かわきをおぼえるだろう)。しかし、わたしが与える水(=キリストが語っている霊的な意味での生ける水)を飲む者は(=すなわち神の霊(聖霊)をさずかった者は)、いつまでも、かわくことがない(=霊において飢(う)えかわくことがない)ばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり(=霊においてかわくどころか、みずみずしい泉となり。すなわちさずかった聖霊により、つねに神へのかわきがみたされた状態、神との良好な関係がもたらされ)、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう(=その聖霊はまた、永遠のいのちのともなった霊でもあるので、その人はたえず永遠のいのちのもとにおかれるだろう)」。女はイエスに言った、「主よ(=ご主人さま)、わたしがかわくことがなく、また、ここに(=この井戸に)くみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい(=ここでの女は、まだ肉体のかわきに着目して、物質的な水をもとめてたずねかえしています)」』
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(キリストが語られているのは、物質としての水ではなく、キリストを信じる信仰によってあたえられる聖霊のことになります。そしてこの聖霊が、わたしたちの霊をうるおわせ、永遠のいのちをもたらしてくださいます。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて、神の恵みのもとにおかれますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)