あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている(ヨハネ3:18~21)

(今回は、信じないからさばかれるという真理、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・3章の18~21節より

『彼を信じる者は(=キリストがもたらす救いを信じる者は)、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている(=これは、すでにさばかれてしまっている、という神だけに可能な完了時制のいいまわしです。全知全能の神ご自身のなかでは、すでに信じる者と信じない者の選別がついているので、彼らのさばきがすでに完了していることを宣言されています)。神のひとり子の名を(=救いをもたらす神のみことしての権威を)信じることをしないからである(=これも完了時制のいいまわしです。彼らの信じない態度が、すでに完了していることをあらわしています。そして神は、このかわらない態度のゆえに、彼らが「信じないから」さばかれるのです)。そのさばき(=罪定め、判決の基準)というのは、光がこの世にきたのに(=神がキリストをあたえてくださったのに)、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである(=やみを愛しつづけ、キリストを信じないから罪にさだめられるのです)。悪を行っている者はみな光を憎む(=彼らは神のもとめにさからってキリストをにくみます)。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない(=神が望まれているのに、キリストのもとにこようとはしません)。しかし、真理を行っている者(=信じている者)は光に来る(=来つづける)。その人のおこないの、神にあってなされたということが(=神によってはたらきだされていることが)、明らかにされるためである』

 

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(神はすべての人の救いを願っておられます。ですがその聖なるご性質のゆえに、あがなわれていない罪に対してはさばきをもってむきあわれます。どうか一人でも多くの方が、この真理をうけとめて、キリストを信じる者となりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)

 

※なお今回は、意味がとおりづらいこともありましたので、本文で引用している口語訳(著作権フリー)のほかに、新改訳や共同訳、回復訳、エマオ出版訳といった聖書も参考にさせていただきました。