(今回は、将来にユダヤ人がイエスこそが救い主なのだと認めるときに、イエスキリストが再臨される、ということについてふれたいと思います)
・ルカによる福音書・13章の31~35節より
『ちょうどその時(=ユダヤ人よりも先に救われる異邦人がいると話されているとき)、あるパリサイ人(=キリストを敵視しているユダヤ教の一派)たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデが(=ガリラヤ地方の権力者が)あなたを(=群衆の注目をあつめているキリストを)殺そうとしています(=これは、パリサイ人がイエスを憎んでいるがゆえのことばです。彼らはヘロデの心中を誇張してつたえ、イエスをこの土地から追いだそうと、なかば脅迫しているのです。そもそもヘロデはイエスを殺したいとまでは願っていません(ルカ23:8))」。そこで彼らに言われた、「あのきつね(=ずる賢い、小心者)のところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし(=これまでとかわらない、神のみわざをしめしつづけ)、そして三日目にわざを終えるであろう(=世の罪をあがなうための犠牲を十字架で果たし、その死から三日目に復活することで、最後の神のみわざをやりとげるだろう)。しかし(=そうした死へとむかう道ではあるが)、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは(=十字架へとむかってエルサレム(イスラエルの中心地)に)進んで行かねばならない。預言者が(=とくにここでは、神から遣わされたキリストが)エルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである(=なぜならその地での十字架での犠牲が、神のご計画だからだ)』。ああ、エルサレム、エルサレム(=イスラエルの民(ユダヤ人)を象徴している擬人法的な呼びかけ)、預言者たちを殺し(=神からの使者をつぎつぎ殺し)、おまえに(=ユダヤ人自身の救いのために)つかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどり(=めすの鳥)が翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを(=エルサレムの子ら、すなわちユダヤ人全体を)幾(いく)たび集めようとしたことであろう(=なんど信仰をとりもどさせて、神のもとにまねきいれようとしたことか)。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。見よ、おまえたちの家は(=ユダヤ人が礼拝をささげ、本来なら神がおられるはずだったエルサレム神殿は)見捨てられてしまう(=実際、西暦70年にローマ軍の侵略をうけて破壊されることになります)。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに(=神の名によって、その権威にもとづいてこられるイエスキリストに)、祝福あれ』とおまえたちが言う時の来るまでは(=不信仰のあなたがたが、イエスこそがメシア(救い主)なのだと認め、キリストに祝福あれ、と祈りをささげるときがくるまで)、再びわたしに会うことはないであろう(=そのときこそがキリストが再び地上にこられる “再臨” のときになります)」』
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(キリストがこう語られてから、もう2000年が過ぎようとしています。ユダヤ人はいまも、自分たちの先祖が、よりによって自分たちの救い主を十字架で殺してしまったことに気がついていません。すでに昇天なさっているキリストは、今後彼らが悔い改めて、イエスキリストに祝福あれ、と祈るときがくるまで、彼らのもとにあらわれることはない、と預言しておられるのです。この悔い改めにいたる道はとても険(けわ)しく、これからユダヤ人は神のさばきである艱難期に突入し、多くの者が死んでいく中で、のこされた者たちだけが、イエスの名を呼びもとめることになります。そしてこの祈りにこたえるかたちでキリストが再臨されますが、これが神のご計画なのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)