あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

しかしイエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった(ヨハネ2:23~25)

(今回は、神は人のこころまでご存じである、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・2章の23~25節より

過越の祭の間(=8日間)、イエスエルサレムに滞在しておられたとき、多くの人々は、その行われたしるし(=具体的には書かれていませんが、おそらくこの8日間におこなった病をいやすなどの奇跡)を見て、イエスの名を(=イエスが神によってたてられているのを)信じた。しかしイエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった(=彼らを信用しきって、身をゆだねたりはなさらなかった)。それは、すべての人を知っておられ、また人についてあかしする者を、必要とされなかったからである(=すべての人を知っておられるので、人についてだれからの証言も必要とされませんでした)。それは、ご自身人の心の中にあることを(=人がなにを考え、どんな思いをいだいているのかを)知っておられたからである』

 

――――――――――――――――――――

(人が神を知りつくすことはできませんが、神は人を知りつくしておられます。ですから神への信仰にしても、その場だけの表面的なものなのか、こころの底からのものなのか、神には識別がついています。これは最後の審判(=人が死後に、生前におかした罪を問われる場)においてもそうですが、人はこの神をまえに言いのがれやごまかしをすることはできません。どうか一人でも多くの方が、キリストによる罪のあがないをうけとって、罪をゆるされた者となりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)