あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである(ヨハネ14:11~14)

(今回は、キリストの名によって願うことは何事もかなえられる、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の11~14節より

『わたしが父におり(=子なる神キリストが父なる神の内におり)、父がわたしにおられることを(=父なる神が子なる神キリストの内におられることを)信じなさい(=神は父、子、聖霊がなす三位一体(さんみいったい)のご存在ですから、父と子は霊において一つです)。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって(=あなたがたが目(ま)のあたりにした、病のいやしや死者のよみがえりなどの、神がキリストをとおしてなさったわざを)信じなさい。よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、また(=信じただけにとどまらず)わたしのしているわざをするであろう(=実際に神のわざをするだろう)。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう(=キリストはおもにユダヤ人に対する宣教をおこないました。ですが信仰者たちは教会を誕生させ、異邦人をふくめた世界宣教を実現するだろう)。わたしが父のみもとに行くからである(=キリストが天にのぼり、かわりに聖霊(=神の霊)をあなたがたにさずけるからである)。わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである(=キリストの名によって願ったことが実現するとは、神の聖なるご性質があらわされることと一致しています。これが神がキリストによって栄光をうけられるということです。ですから神のご性質と一致していない人間の欲などはかなえられません)。何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう』

 

――――――――――――――――――――

(キリストの名によって願うことで、神のみこころにそっていることは何事でもかなえてくださいます。これによってわたしたちは、神の聖なるご性質のあらわれ、そのご栄光をますます確信をもってたたえていくことになります。どうか一人でも多くの方が、キリストをとおしての祈りの時をもてますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである(ヨハネ14:8~10)

(今回は、父なる神と子なる神であるキリストは等しいご存在である、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の8~10節より

『ピリポ(=12人の弟子の一人)はイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を(=神を)示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしが(=神と等しいご存在であるキリストのことが)わかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである(=神を見ているのと同じことなのである)。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり(=聖書の神は、父なる神、子なる神であるキリスト、聖霊という3つの位格をもちながらも、唯一の神であるという三位一体(さんみいったい)のご存在であられます。その子であるキリストが父の中におられ)、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである(=キリストをとおしてご自身を人々に証しすることばを語られ、また病のいやしなどのしるしをおこなわれているのだ)』

 

――――――――――――――――――――

(キリストは神でありながらも、人となってこの地上におりてくださったお方です。ですからそのご性質においても父なる神と等しいですし、その内には父がおられるのです。こうしたご関係があるゆえに、神はキリストをとおして語ることばや、いやしなどのはたらきを実現なさっているのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない(ヨハネ14:5~7)

(今回は、キリストがわたしたちの唯一のメシア(救い主)である、ということについてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の5~7節より

『トマス(=12人の弟子の一人)はイエスに(=天へと去っていくのをそれとなく語ったキリストに)言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。イエスは彼に言われた、「わたしは道であり(=キリストご自身が神のおられる天へとつづく道であり)、真理であり(=神が人間におあたえになった救い主であるという真理であり(ヨハネ8:32))、命である(=ご自身が永遠のご存在であるだけでなく、わたしたちに永遠のいのちをあたえてくださるお方です)。だれでもわたしによらないでは(=キリストへの信仰がないならば)、父(=神)のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう(=キリストを知るということは、キリストと等しいご存在である神を知ることでもあります)。しかし、今は(=こうしてキリストを目の前に見て、知っている今のあなたがたは)父を知っており、またすでに父を見たのである」』

 

――――――――――――――――――――

(上記のように、わたしたちはキリストを信じることなしには、神のもとへはいけず、神の真理にもとづくこともできず、永遠のいのちをあたえられることもありません。キリストだけがただ一つの救いへの道なのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう(ヨハネ14:1~4)

(今回は、天における信仰者のすまい、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・14章の1~4節より(以下はキリストのおことばです)

『あなたがたは、心を騒がせないがよい(=キリストは天へと去っていくがこころをさわがせる必要はない)。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には(=神のおられる天には)、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう(=ないならないと言っていただろう。しかしあるからあると言っておられます)。あなたがたのために、場所を(=すまいとなる場所を)用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて(=空中までむかえにきて。これを携挙(けいきょ)といいます(テサロニケ1の4:15~17))、あなたがたをわたしのところに迎えよう(=いまの朽(く)ちる肉体ではなく、栄光のからだをさずけてむかえよう)。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている(=天へとつづく道は、キリストご自身をさしています。わたしたちはキリストを信じることで、この道をとおり天にまねかれるのです)』

 

――――――――――――――――――――

(キリストは復活後に天にのぼられます。ですが天における信仰者のすまいの準備ができたら、ふたたびきて、わたしたちを天へとひきあげて、いつまでもともにいられるようにしてくださいます。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて神の国にまねかれますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう(ヨハネ13:36~38)

(今回は、ペテロの不従順を預言するキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・13章の36~38節より

『シモン・ペテロ(=12人の弟子の一人)がイエスに(=十字架からの復活後に、天にもどられるのを暗示したキリストに)言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに(=天に)、今は(=地上で生きている今は)ついて来ることはできない。しかし、あとになってから(=信仰にあって死んだあとで)、ついて来ることになろう」。ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか(=キリストが天にもどられるのを理解していないのでこうたずねています)。あなたのためには、命も捨てます(=ペテロはこの地上のどこへでもついていく気持ちで口走っています)」。イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか(=キリストは、ペテロが感情的に “命を捨てる” と言っているのを見抜いておられます)。よくよくあなたに言っておく。鶏(にわとり)が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう(=これは預言です。キリストへの信仰のないユダヤ人たちの前で、自分の命欲しさに三度しらをきるだろうということです)」』

 

――――――――――――――――――――

(このときのペテロは、キリストが世を救うために十字架にかけられるのを理解していません。キリストはペテロの罪も背負って死んでくださるのです。この真理を、彼はのちに聖霊をさずかることで理解するわけですが、その後は初代教会の指導者として立派にあゆんでいくことになります。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて救われますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい(ヨハネ13:34~35)

(今回は、キリストが実践してしめしてくださった新しいいましめ、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・13章の34~35節より

『わたしは、新しいいましめを(=キリストが新しく確立してくださる契約(=キリストによる罪のあがないを信じる者には、永遠のいのちがあたえられるという契約)にもとづくいましめを)あなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように(=キリストは洗足(せんそく)などでも愛をしめしてくださいましたし、もうすぐ十字架におけるご自身の犠牲によっても愛をしめしてくださいます)、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって(=たがいにへりくだり愛しあうすがたによって)、あなたがたがわたしの弟子であることを(=神の子としてキリストに仕えていることを)、すべての者が認めるであろう」』

 

――――――――――――――――――――

(キリストが十字架でなしとげてくださったことによって、ユダヤ人においても信仰者は、文字(=律法)にではなく、聖霊に仕えるという新しい契約のもとにおかれています(コリント2の3:6)。これは旧約時代(=古い契約の時代)の律法から解放されたことを意味しています(ローマ7:6)。この新しい契約の核ともいえるいましめが、キリストがわたしたちを愛してくださったように、たがいに愛しあいなさい、ということなのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて、聖霊をさずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

今や人の子は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった(ヨハネ13:31~33)

(今回は、復活のときが近づいているのを語られるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ヨハネによる福音書・13章の31~33節より

『さて、彼が(=ユダが)出て行くと、イエスは言われた、「今や人の子は栄光を受けた(=いまこそキリストは復活による栄光をおうけになります)。神もまた彼によって栄光をお受けになった(=神もまた、十字架において世の罪をあがない、復活されたキリストによって栄光をおうけになります)。彼によって栄光をお受けになったのなら(=おうけになるのがたしかであるのだから)、神ご自身も彼に栄光を(=復活という栄光を)お授けになるであろう。すぐにも(=十字架の死より三日目には、復活という栄光を)お授けになるであろう。子たちよ(=小さな子どもたち、弟子たちよ)、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる(=死からの復活後、四十日間はこの地上にいる(使徒1:3)。しかしその後は天にあげられます)。あなたがたはわたしを捜すだろうが(=直接会いたいと願うだろうが)、すでにユダヤ人たちに(=ユダヤ人指導者をふくめたユダヤ人に)言ったとおり(ヨハネ7:33、8:21)、今あなたがたにも言う、『あなたがたは(=地上に生きているあなたがたは)わたしの行く所に(=天に)来ることはできない』」』

 

――――――――――――――――――――

(キリストは復活という栄光を神からおうけになります。そして神は、世の罪をあがない復活したキリストによって栄光をおうけになります。これは信仰のゆえに罪をあがなわれ、神のものとなったわたしたちが、神の栄光をたたえるためなのです(エペソ1:14)。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じて神の家族とされますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)